
散歩中のおじさん。疲れて一休み。
今週は落ち着いています。
残業も無く、久しぶりに帰ってきました。
へえ、ひとやすみ。
ビックカメラが夜10時まで開店してくれるようになり、とても便利になりました。会社帰りによれるようになった。
今週末は休めるから、撮影に出掛けてこようかと。
ずっと行けてなかったから、手焼きをしにラボにも行きたいなあ。
というか、課題以外に写真が撮れてない!!
いかんですな。
昨日3本撮ったけれど。作品が出来てないって、なんてつまらない。
不安になる時は、決まってなにもしていない時だなあ。
人の講評をするようになって、よりコメントを考えなくてはいけなくなったのだけれど、それは、今の私にとって、凄く必要な事だなって思った。
人のいいところを見つけないといけなくて、欠点を指摘するだけではなくて、伝え方の勉強になったり。
その人にとって、どうしたらいいのかを考えなければ出てこない発言になる。
そう思うと、今まで普通に講義してもらっていたのが、とても難しい事だったんだなと実感する。
ほんと、言葉を選ぶと言葉が出てこない。
いいならなぜいいのか。
悪いならなぜ悪いのか。
まさに、デザインでしなければならないところ。
それは、きっと、講義でだけではなくて、日常的にしなければならないこと。
大学の恩師のデザインの講義は、本当に上手くて、印象深い。
講評は、はっきり言って厳しい。
課題も、難解だ。
だけど、合間合間に褒めるのが、とても上手い。
なぜそのデザインがいいのか、面白いのか、凄く説得力があった。
だからこそ、先生をうならせる作品を造りたいと、がむしゃらにがんばっていた。
いいクリエイターと、いい先生は必ずしも同じではないんだろうけれど。
でもなぜいいと思ったのか、悪いと思ったのかを説得できる力が、今は本当に必要だと思った。
丁度、大和田良さんのブログを拝見させていただいた。
そしたら、こんな事が書いてありましたので、ちょっと拝借。
「僕は写真を、または作品を見る時に「なぜ撮るのか」ということと「今後どうしていきたいのか」ということを最初に聞きます。それは僕にとっての最大の興味でもあるし、それぞれの方の写真に対する態度を知りたいから。」
どきっとしました。
私には、まだどちらもはっきりとした答えが出てこない。
その場にいたら、なんて答えるだろう。
でも、何かを発信したいからだし、何かを伝える人でありたいという気持ちはある。
きっと、写真というジャンルを選んだだけで、表現方法は、別のものでもいいのではと一瞬思った。もしかしたら、絵画だったかもしれないし、彫刻だったかもしれない。
でも、私にすっと入って来たのが、デザインと、写真だった。
それは、測らずして、芸術の中でも生活により密着しているもの。
いや、だからこそ、絵画や彫刻じゃなかったんだな。
文化の盛んな家で育った訳ではない。
むしろ、芸術とは無縁な一家。
でも、そういうところにこそ、美や、デザインって潜んでいるのではと思う気持ちがある。
意味のない美しさを作り上げるより、必要不可欠なものに美しさは宿っているのでは。
そう考えているところもある。
だからこそ、ドイツの機能美の考え方に惹かれてしまう。
そんなデザインがしたい。
そんな写真が撮りたい。
教育学部出身のため、教育関連のニュースにはわりかし敏感な私。
社会の中で美術の位置づけが、どんどん狭まっていっている気がします。
無くても生きていけるものだからなんだろうけれど。
無くては生きていけないくらいの芸術って、ないんだろうか。
いや、あるはず。
5教科では教えてくれない大事な事は、芸術にはたくさん詰まっている。
倫理や道徳も全て。
というか、そういうことを伝える教育システムになってないことが、寂しい。
なんだかまたうだうだ書いてしまったけれど、結局模索中なのは、説得力と、生活の中で生きる芸術の意味なんだな。
うん、きっと、そこな気がする。



