
日産スタジアム近くの空。
今日、仕事を早めに切り上げて、友人と会食。
終止写真や展示について話をする。
よい時間です。
写真家がたくさん載っている本を見ながら、話をする。
話していてふと思ったこと。
「写真は真を写すもの」?
とそのままいうと語弊がある。
なんていうか、写真は真を写すものなんだけれど、
いま「真を写すこと」を求められてるのかな?と思った。
何の話からそんなことを考えたのか分からないけれど。
屋代敏博さん(やっと名前出てきた)の回転回の作品を思い出したとき、あれは真を写すものとかという単位じゃないよなあって思ったのがきっかけかなあ。
写真で切り取ることで見える関係性が面白いんだという話を聞いた時も、それは真実じゃないよなあって思ってたのもあったのかも。
それが悪いってことかっていうとそうじゃなくて、むしろ私はそういう方が好きだったりするし。
でも、真を撮ることが当たり前になりすぎてきたような気がする。
作り込んだ世界観とか、いい作品のためにやらせのようなこともありで、コンセプトであり得ない世界観を作っているのは、真を写すことなのかな?
むしろ、
真を写すんじゃない表現が求められているのかな、
自分にしか見えない真というなら真なんだけど(それって真なのかな?)、
いままで見たことがないような世界観を誰もが見たがっているような気がするんです。
既視感のない作品。
そう思うことって、“写真人生の思春期”なのかなあ。
それがいいかどうかもわからないし、自分が思春期にいるかどうかもわからないけれど、なんだか話をしていてそんなことを考えました。
でも今日のあの話を聞いていたら、きっとどこからそんな話になったの?という感じを自分でも少し感じるのですが。
ふとそんなことを考えながら帰ってきたんです。



