
春の塔
今日は会社のお引っ越し準備でした。
会社からいただいた品々を車で運んでもらいました。
相方のも含めると、かなり高額になるのです。
ありがたや〜!
出世払いだね、と、相方と話しながら帰る。
久しぶりに、友人とけんか(?)をしました。
こんなに言い合うなんて、何年ぶりだろ。
あ、2年ぶり。
…意外に近いな…
同じ言葉があっても、音声だけの言葉・メール・対面での言葉・手紙
いろんなツールによって、受ける印象がだいぶ違う。
受ける人や話す人によっても全然違う。
感情を出してしまう前は出さずにはいられないのに、
出してしまった後は、すぐさま後悔になる。
結局、自分の気持ちを守りたいがために、相手を傷つけてるのには変わりないのだなあ。
優しさって何でしょうねえ。
自分が落ち込んだ時の優しさって何だったかな?
自分があのとき感じた優しさって、どうしてもらえた時だったかなあ?
将来よかったと思ってもらえる優しさってどんなんなんだろう?
動かない頭をフル回転しながら考えるけれど、結局、待つのみなんではないかというところに至ると、なんて自分は無力なんだろなあ、と思う。
究極は植物なんじゃないかと。
なにも働きかけずとも、生きる酸素を供給するという…。
なんというか、壮大な話になってきたぞ。。
そんなこと必要ないと一蹴されたら終わりなんだけれども。。
今読みかけの本があって、『箱から出る方法』みたいなタイトルの本だったんですけれど(今度書きますね。)、それによると
同じ言葉で伝えていても、自分が箱の中に入っている状態なのか、外に出ている状態かによって、相手が箱の中に入ってしまうかどうかが決まる。
みたいなことが書かれていました。
とても面白い解釈でした。(なんとなくわかってもらえるといいんですが)
きっと、私は箱の中から声をかけてしまったんですねえ。
同じ言葉でも、受け取り方が違う。
うーん、難しい。
でも、同じ方向を向いて頑張っていこうという気持ちはみんなあるはず。
自分の感覚をわかってもらえないのが当たり前の中、陰陽含めた自分の感覚をわかってもらえる人がいるということが、救いだったりする。
作品も、自分が箱の中で制作していたら、箱の中から見られることになるのかな。
受け取る側が違うことによって印象ががらっと違うこともあるのかと思うと、作品についての価値観から、考え直してみた方がいいのかもなあ、なんていうことも思いました。
でもたぶん、作品も見てくれた中の一人だけでも琴線に触れる人がいたら、っていうことなのかな。



