
武蔵小山のカフェに行った時に待ちブラして撮った写真。
タイポグラフィも、学べば学ぶほど
文字よりも文字じゃない白地のエリアをみるようになる。
写真も、学ぶほどメインエリアじゃない部分に目をやる感じがある気がする。
一枚画の見方も、目線の先も。
昔から、なるべく自分の好みを出さないように出さないように努力してきた私。
(18歳までに身に付いた習慣を常識というって、よく言ったものだな。
今、それがコンプレックスになってる気がする。)
なんでだろうって考えてみると、地元の人の目が、妙に否定的な目線が多かったからだなと思うようになったんだけど、
デザインの仕事をし始めると、自分の好みや得意分野は
どんどんはっきりさせないと逆にいけないということに気づいて、
自分の好みは何か、
どう考えるのか、
どんな分野に興味があるのか、
そんなことを必死に探し続けて、(働き初めから)もう7年になりました。
昔からの友人には、
mochimayugeは「結構流行もの好きだよね」っていう悲しい称号(?)をいただいたりとかして、そんなことないなんて思ったり、そういうところもあるかもなと思ったり。
でもたとえ流行もの好きだったとしても、それは自分の特性であって、
特に卑下することでもないことだ、という結論になった最近です。
(流行ものに飛びついて、続かないとかいうのは良くないけれど。)
30手前になって、いい意味で悩む時期を脱出したのかも??
友人の意見も、twitterとか、カメラとか、そういう目線からなんだと思うんだけど、
カメラもtwitterももともと仕事の知識の延長線上でやろうとしたことだし。
というと、仕事がもう、コミュニケーション・広報・広告・娯楽のジャンルに足を突っ込んでいることだからなーと。
コピーライターの糸井さんって、確か仕事中に映画を観たりっていうのをOKにしていると聞いたことあるんだけど、その理由も「消費を商売にしているんだから、消費を知らないと仕事にならない」という感じだった。
それは、私も一理あるような気がするのデス。
今の消費物が、どういうものとして作られているのか分からないと。
で、より良いものを観ていかねばと。
それを、自分がどれだけ解釈しているかは別として。。
ただ、どちらかというと私はマイノリティを好きになっている気がする。
否定的な意見が多い方を選んでやっている訳ではないんだけど、
根がへそ曲がりなのか、必ず核を外している。
(自分の中ではあきらめつつも、ちょっと問題視)
写真もcanonやnikonじゃなくpentaxだし、
大学の友人はなぜか地元移住型が多かったし、
仕事のジャンルの手前WinよりMacユーザだし、
twitter人口ってまだ多くなくてむしろ批判されがちだし、
占いとか好きだし(毛嫌いする人はすごいし)、
有名どころのものを外しがちな感じがする。
何よりそこに、最近ベジタリアン(ローフーディスト)という、食分野でのマイノリティジャンルを選んでしまったという…。
だからこそ、選んでしまった手前、何を言われようとその道を突き進めばいいんだけど、
人と関わる手前、結構傷つくこともあったり。
特に食に関すると、ちょっと宗教っぽくみられてしまったり、
きつく当たられている人を見たりするとちょっと悲しくなったり。
食文化は、信仰の派閥のような扱いになっているなと気づいた最近。
確かに良いもんだから、熱狂的になったりする人も多いし、
奨める人も多いんだろうなと、自分でも思い当たるところも多々あって、反省したりするんだけど。。
今までまったくふつうの食生活をしていたから全然気づかなかったけど、
そういうメカニズムなんだ〜と、身を以て知りました。
世の中って「○○っぽいよね」という感覚で分類される感じというか、そういう雰囲気で全部が出来ている気も。
その中にはきっとたくさんの偏見や、メディアに情報操作されたものがあるんだなって、思ったりする。
最近の口蹄疫のメディア操作の話もそうだし。
でも、それに振り回されて、本当のことを見失うのはすごく寂しい。
もっと、本質を見極める目を身につけていかないと、
それで、自分で選んだ道に自身を持っていかないと。
さらには、それでもそういう社会の中で生きていかなければならないのだし、
それでも自分も周りも楽しく過ごせる処世術を身につけていかないと。
そういうものに飲まれないようにしようと、思うのです。